[インタビュー]日本人に必要な「ごくあたりまえ」のエビデンスを
上島 弘嗣氏
(滋賀医科大学社会医学講座福祉保健医学教授)
こうした貴重な成果をささえてきたのは,実に地道な追跡作業だった。そしてNIPPON DATAがめざすのも,やはり地道なエビデンスの集積だという。主任研究者である上島弘嗣氏に話を聞いた。
断面調査を追跡調査に
1980年の
第3次循環器疾患基礎調査報告書
―まず,NIPPON DATAが始まった経緯についてお聞かせください。
上島: NIPPON DATAのもとになったのは,1980年に行われた厚生省(現: 厚生労働省)の「第3次循環器疾患基礎調査」でした。循環器疾患基礎調査というのは10年ごとに行われており,循環器疾患の実態やリスクファクターを把握することを目的とした断面調査です。しかし,国民の実態を如実に反映している1万人のランダムサンプルを断面調査だけで終わらせるのはたいへんもったいないですから,追跡調査ができればという議論は以前からありました。それがようやく実現したのが1994年だったのです。NIPPON DATAというのは,追跡調査を始めるにあたってつけた名前です。
名前だけを手がかりに追跡を開始
―14年前にさかのぼっての追跡調査はどのように始められたのですか。
上島: NIPPON DATA80は1980年の時の各因子と,14年後の生命予後との関係をみることが目的ですから,まず1980年当時の対象者のかたがたが生存されているかどうかと,もし亡くなられていた場合はその死因を調べることが必要でした。具体的な手順としては,保健所の情報または住民票により生死を確認したうえで,亡くなったかたについては人口動態統計の記録と照合して死因を調べようという段取りです。
1980年の調査は全国各地の約300の保健所が主体となって実施したものです。そこでまず,保健所に協力を要請しました。当時の調査名簿をもとに可能な限り生年月日と住所を特定してもらい,約8割については比較的スムーズに判明しました。
問題は,保健所で調査不可能だった残りの2割です。実は,頼みにしていた当時の調査名簿には,地区と対象者の名前,年齢,性別が記載されているだけでした。つまり,住所もなければ生年月日もなかったのです。もともと断面調査としてデザインされたためでしょう。しかし,住民票の請求には名前と住所の両方が必要です。手元にあるのは名前と,自己申告による年齢・性別のみ。非常にあせりました。
ひょっとすると電話帳も「本」なのではないか
―それだけの情報から,いったいどのように対象者を特定したのですか。
1980年当時の電話帳
上島: しばらくどうしたらいいかわからず,1か月くらいは眠れないほど悩みました。しかも,単年度予算で正式に決定したのが9月だったため,年度内の3月までに報告書を書かなくてはいけない。そんななかで,ふと電話帳の存在を思いつきました。電話帳があれば,名前から正確な住所がわかるはずですから。
ただ,なにしろ全国各地の300か所の,しかも14年も前の電話帳です。あるかどうかもわからないのに,すべての市町村の図書館にいちいち行って調べるのは非常に大変ですし,仮にあるとしても,残っている時間はわずか半年です。NTTにも聞いてみたのですが,もう残っていませんという答えでした。NTTにないんだったら,もうどこにもないのではないか,と途方に暮れてしまいました。
そうして悩みに悩みぬいたあるとき,ふと,あることを思い出しました。国立国会図書館には,国内で出版されたすべての本が1冊ずつ保管されているらしいという話です。ひょっとすると電話帳だって「本」なんじゃないか。国会図書館ならあるかもしれない。そう考えたのです。
―それで,国会図書館には古い電話帳もきちんと保存されていたのですか。
国立国会図書館
上島: すぐに電話をして,全国の電話帳を所蔵しているか聞いてみました。そこで返ってきたのは,「はい,ありますよ」という返事でした。「14年前の,古いものなのですが」と切り出しても,担当者は当然といった感じで「もちろんあります」。
あまりにもスムーズだったのでやや拍子抜けしてしまいましたが,これで追跡ができる! と思うと,目の前が一気に開けたような思いでした。少なくとも,全国を行脚する必要はなくなりましたから。
赤が1つでもなくなるとうれしい。セールスマンと同じです
―その後の追跡作業は,電話帳というアイディアのおかげでスムーズに進んだのでしょうか。
上島: まずは学生などのスタッフを集め,ひたすら電話帳のページを繰るための突撃隊をつくりました。それで集中的に住所の確認を進めていったのです。また,電話帳からだけでは住所がわからない場合ももちろんありました。これに関しては,当時助教授だった岡山明先生が,住宅地図を使うという方法を思いつきました。住宅地図も印刷物なので,電話帳と同様,当時のものが国会図書館にきちんと所蔵されていたのです。住宅地図を見て,名簿に記載されている名前がないか,しらみつぶしに目で探すという作業ですね。
このようにして,多くの対象者の正確な住所を明らかにすることができました。そこで名前と判明した住所とをそろえて,あらためて市町村に住民票の請求をしたというわけです。
―そこでやっと,住民票にたどりついたのですね。住所の確認には,かなりの時間がかかったのではないですか。
上島: いえ,スタッフの努力や保健所など関係者の協力もあって,秋の終わりには住所の確認は終わっていました。
保健所にアプローチしたり突撃隊が電話帳を繰ったりしているなか,僕がつくったのがこの,進行状況を示す日本地図でした。緑のピンが調査を承諾してくれた保健所,黄色は保留,赤が調査を拒否したところ……という具合です。単純なもので,こうしてひと目でわかるようにすると,やはりみんな燃えるんですね。赤が1つでもなくなるようにと思ってがんばりました。セールスマンの成績表と同じですね。こうしてみんなを鼓舞するというのも,僕の役割のひとつでした。少しずつでも追跡率を上げていかないと,信頼性の高いデータが得られないからです。
日本全国の進行状況がひと目でわかる地図
とにかくやれるところまでやりましょう
―最終的な追跡率は,どのくらいに達したのですか。
上島: 91%です。開始当初,名簿から得られるデータが名前と地区だけであることが判明して行き詰まっていたときなどには,ある疫学の大先輩に「上島君,これはちょっと無理だよ。報告書にはとにかく最低限の内容を書いて出せばいいのだから,追跡率は3割程度でいい。ここは妥協しなさい」と言われたことがありました。それほど無謀な計画だったということでもあります。しかし,こうした調査結果は国民の財産ともいえるものです。表面的な報告だけして,その実,国民に還元できるデータが何もないというのでは,研究者として非常につらいものがあります。
そんなとき,岡山先生が言ってくれたのです。「上島先生,これはもう失敗してもええから,とことんやりましょう。死にものぐるいでやって失敗したら,そのときはしゃあないやないですか。でも今は,とにかくせいいっぱいやってみましょう。倒れるなら,みんなで一緒に倒れましょう」と。
あのときの岡山先生のことばは,今でも忘れられません。本当に,ものすごくうれしかったのをおぼえています。そうして教室のみんなが奮起し,一丸となってやりとげたその成果が,91%という高い追跡率なのです。
基本的なデータをていねいに出していきたい
―最後に,NIPPON DATA研究の展望をあらためてお聞かせください。
冠動脈疾患死亡のリスク評価チャート
Circ J 2006; 70: 1249-1255
上島: NIPPON DATAの基本的な方針は,世界初の新しい結果というよりもまず,日本人にとって必要なエビデンスをきちんと出していこうというものです。たとえば,コレステロールと心筋梗塞や喫煙と脳卒中の関連などですね。あたりまえといえばあたりまえなので海外のジャーナルには掲載されにくく,したがってこれまでの日本からの報告も少ないのです。しかし,欧米の結果が日本人にもあてはまるのかどうかということも,非常に大切です。日本人に必要とされる基本的なデータを,できる限り多く,ていねいに出していきたいと思っています。幸い,NIPPON DATAは世界にも認知されてきました。今後も,情報を発信し続けていきます。