[インタビュー]疫学研究と臨床の交流の場を求めて
最近の循環器疫学の動向でこれまでと比べて何か変化がありますか。
一つは国際共同研究も含めて大規模な共同研究が増えてきたことです。これは観察研究だけではなく臨床試験でもそうです。以前は,募集目標数を達成できないなどプロトコールが現実性を伴っていなかった,さらに対象者募集などに対する医師の支援やデータの管理,分析など試験を支える基礎的な体制が整っていなかったために,実を結ばないことも多くありました。しかし,ここ10年ぐらいで体制が急速に充実してきたために大規模な共同研究が可能となりました。
もう一つは個人データを統合したメタアナリシスが行われるようになったことです。アジア・オセアニア地域の心血管病の危険因子の解明を目指すAsia Pacific Cohort Studies Collaboration(APCSC)はその代表です。コホートの規模が小さいと多くの詳細な検討,有意差を検出するのが難しいのですが,個人データを統合することにより有益な所見を見出すことが可能になります。日本でも全国で実施されている既存の循環器コホート研究の個人データを統合する日本動脈硬化縦断研究(JALS)が数年前から開始されています。今後,こういった大規模な共同研究が増えていくと思います。
食塩と血圧に関するINTERSALT,栄養と血圧に関するINTERMAPなど日本が参加している国際共同研究も少なくありません。
INTERSALTは32か国52集団で行われていますが,国際共同研究は多くの国・施設が参加して,これは既存のデータを利用するのではなく新規にデータの収集を始めるものですから,研究計画から実施に至るまで非常に高度な標準化が求められます。なぜ標準化が大切なのか,デザインを決める理由などを世界中の研究者が理解し,納得してから実施しますので,この過程が非常に教育的なのです。共同研究に参加することが実践的な学習機会になるのです。共同研究の良いところは参加者の水準が上がっていくことです。次の機会にはその水準以上のものになっていく。そういう意味でも大きく様変わりしてきたと思います。
日本が参加した初めての代表的国際共同研究は1958年に開始されたSeven Countries Study(7か国共同研究)です。その後しばらく途絶えましたが,1982年からのINTERSALT,1996年からのINTERMAP,若年男性の冠動脈石灰化と頸動脈肥厚による動脈硬化と循環器疾患危険因子との関連を日米,韓国で検討するERA-JUMPが2001年,アテローム性動脈硬化の危険因子と治療法の世界規模登録研究であるREACH Registryも数年前に始まりました。
数十年前のデータを解析する疫学研究がリスクの重みが変化している現在の臨床に与えるものは何でしょうか。
時代が変わっても危険因子の相対危険度そのものはさほど変わらないと思います。例えば,10年前に高血圧が心血管病発症のリスクが2倍だとしたら,現在も2倍です。変わるのは高血圧の罹患数なのです。高血圧患者の絶対人数と割合が減少すれば,高血圧の社会的な影響力は低下します。高血圧の重みが小さくなるということは,人口寄与危険度が低下することではありますが,高血圧が心血管病のリスクであることは変わらないのです。しかし,高血圧の罹患率が低下することにより,それまで高血圧が多かったことによりみえなかった喫煙などのリスクが浮き彫りにされてくるという変化は起こります。そしてこの変わってきた危険因子を臨床試験で検証することが重要だと思います。
昔の状態をみているのではないかという問題があるのは事実ですが,たとえ10年前のデータであっても,そのリスクは発表された時代においても適応できるもので,いつの時代もリスクの検討を観察研究で行うのは大切で,医療政策には必要なデータだと考えています。
最近,循環器関連の学会や座談会などに疫学の先生が参加される場合が増えているような気がします。
実は公衆衛生だけでやっていることに限界を感じ始めたのです。学会などで議論する相手が自分たちしかいないのです。そこで私たちは臨床の学会に出席して発言し始めました。私は高血圧学会や動脈硬化学会などに出かけて行って,「ここがおかしい,あそこもおかしいぞ」などと言い,臨床側に積極的に論議をしかけるようにしたのです。
それはいつ頃のことですか。臨床の先生方の反応はどうでしたか。
もうかれこれ20年ぐらい前のことです。高血圧学会でアルコールとイベントの関連の結果を発表した時は,15人ほどの臨床の先生が質問をされるために並ばれたくらい,反応はとても良かったのです。その後も,小規模試験の発表に対してもデザインやデータの不備を指摘し続けました。こういう論議の場ができたことにより試験のレベルが上がっていきました。そのうち生物統計学の先生方とも論議するようになり,生物統計学の専門家も疫学研究や臨床試験に参画してもらわなくてはいけないと考えるようになりました。多分,私は臨床医と最も交流の多い疫学者だと思いますが,これは学会などに積極的に参加したことによるのです。
臨床医との議論の場が増えることにより,最も期待されたことは何でしょうか。
共同研究の場ができることです。そして交流することによって臨床医に疫学の重要性を認識してもらうことです。フラミンガム研究しか知らなかった臨床医に,日本にも素晴らしい研究があることを知ってもらいたかったのです。
疫学は奇をてらったことはせず普遍的なデータを出していくことが仕事です。臨床医が整理できる基礎のデータを提供しますので,例えばガイドラインなどを作成する場合に参考にして欲しいのです。臨床医もガイドライン作成の折りや臨床試験を解釈する際に疫学を大切な根拠として必要だと理解し始めていると思います。臨床医からデータを要求される場合も出てきました。フラミンガム研究から単に知識として知っていた結果を解釈するのに,日本での根拠が欲しいという要求が出てきたのです。NIPPON DATAなどもそのために実施されたのです。
疫学と臨床が出会ったことが双方にプラスになっているわけですね。
そうです。臨床側から我々へのリクエストが出てきましたし,我々もそれに応えなくてはいけないわけです。世界で初めてといったようなことではなく,世界でいわれていることが果たして日本人にもあてはまるのかといった基本的なことを考えることができるようになったのです。
昨年,NIPPON DATA80から循環器疾患リスク評価チャートを発表しました(Circ J 2006; 70: 1249-55)。これは「動脈硬化性疾患診療ガイドライン2007年版」に収載される予定ですが,臨床医の方に患者教育のツールとして利用していただければと思います。
循環器疫学サイトepi-c.jpも疫学と臨床との出会いの場とし,両者の相互作用により心血管病をより予防していく上で役立ちたいと考えています。
疫学の最新情報の更新も重要ですが,各疫学にそれぞれの特徴があることを知っていただき,総合的に理解していただける場になればと思います。例えばホノルル心臓調査はフラミンガム研究より対象数が多いけれども,男性しかみていない。しかし日本人が生活習慣の変化により疾患がどう変化するのかが分かる貴重なものです。このように疫学ごとに長所もあり短所もありますので補完する検討,また各疫学研究の意義を批判的吟味を加えながら理解し,臨床に有用なメッセージを発信していければいいですね。
先生にとって疫学研究とは何でしょうか。
趣味です。疫学とは予防につなげられる道具で,そこが魅力です。顔は見えませんが,我々の研究により予防できた人の数をみてニヤリとしています。
[座談会]疫学研究を臨床に結びつけるためにもご覧ください