[インタビュー] 古くて新しい久山町研究――第4集団は「ゲノムの集団」

清原裕氏(九州大学大学院医学研究院環境医学教授)

 清原 裕
 (九州大学大学院医学研究院環境医学教授)

町ぐるみの協力で,剖検率・検診受診率ともに約8割

―まず,久山町研究の特徴を簡単にご紹介いただけますか。

清原: 久山町研究は,福岡県糟屋郡久山町の地域住民を対象とした,生活習慣病の疫学調査です。主な特徴は4つ。1つは,1961年から行われている伝統ある研究であること。次に,亡くなられた方の8割近くを剖検し,正確な死因や隠れた疾病を調査していること。これが最も大きな特徴です。世界的にも,剖検をここまで行っているのは久山町研究だけです。これは久山町および住民の方々の全面的なご理解の上に成り立っているものであり,町ぐるみで協力していただいていることが3つ目の特徴といえます。定期的な検診による臨床データの精度もきわめて高く,過去46年間に追跡不能となったのは5名だけです。

 久山町研究の当初の目的は脳卒中の実態解明と予防でしたが,次第に生活習慣病全般にテーマが広がっています。最近,遺伝的要因の解明による生活習慣病の予防を目指してゲノム疫学研究を始めましたが,これが4つ目の新しい特徴です。

第3集団は「代謝性疾患の集団」,第4集団は「ゲノムの集団」

―ゲノム疫学では,具体的にどのようなことを検討しているのですか。

清原: 現在は脳梗塞や高血圧,糖尿病の関連遺伝子を調べています。特に脳梗塞に関連する未知の遺伝子の探索は,東京大学医科学研究所との共同研究で,文部科学省のリーディングプロジェクトとして行っています。現時点で候補遺伝子が12あり,これから機能解析を行う必要があるのですが,そのうち1つについては,世界で初めて見つかった脳梗塞の原因遺伝子として,2007年1月7日にNature Genetics誌電子版に掲載されました。

―これからは,遺伝子研究を中心に力を入れていくということでしょうか。

清原: いえ,あくまでいろいろと広げている手のうちの1本です。かなり大きな手ですけれども。生活習慣病は,生活環境要因の影響を調べることが最重要です。その土台がないとゲノム研究にも成果は生まれないと思っています。

 久山町研究は日本人の脳卒中の実態解明を目的にはじまり,その最大の危険因子が高血圧であることをつきとめました。これをもとに保健指導を行い,降圧薬の服用率も上昇したことで,脳卒中の発症率は60年代から70年代にかけて急激に減少しました。しかし80年代以降は,糖尿病などの代謝性疾患が新たな危険因子として台頭してきており,脳卒中の減少速度は鈍化しています。また,脳卒中が減少したことで日本は高齢化社会を迎えられたわけですが,最近はそれにともなって認知症が増えてきています。

九州大学第二内科久山町研究室
九州大学第二内科久山町研究室

時代によって集団の性質も変化しますので,ある病気を撲滅しようとしても次が出てきます。まるで危険因子のモグラ叩きをやっているような気がします。1961年に設定した第1集団,1974年の第2集団では脳卒中,虚血性心疾患,高血圧など,心血管疾患とその危険因子を中心に調べました。1988年の第3集団は,生活や環境の変化をふまえて「代謝性疾患の集団」と位置づけ,糖負荷試験を開始しました。2002年の第4集団は「ゲノムの集団」であり,このコホートでゲノム解析を行っています。

久山町研究を支えている信頼関係,医師の気質

―40年以上も継続していることや,多くの住民の方に剖検に協力していただいているということは,先生にとっても非常に重いことですね。

清原: この研究は,我々と住民の方々との間の深い信頼関係の上に成り立っています。剖検にご協力いただけるのも,この信頼関係があるからこそです。この関係を維持することが,私にとってというより研究室全体の,とても重い課題なのです。一般的な疫学研究は本来,対象者との距離がここまで近くないんです。個人というより,集団として見ているわけですから。でも,このくらい近づくことで得られる情報は奥が深いと常に感じます。大学病院でも剖検率は30%程度ですが,久山町研究の剖検率は80%です。

―それは,やはり久山町研究室の先生方の,住民の方々に対する姿勢によるところも大きいのでしょうか。

清原: そうかもしれませんね。一般的に,病院だとどうしても医者が上で患者さんが下になりがちです。久山町研究を行ってきた九州大学第二内科には,もともと上からものを見ず,患者さんの目線に立つ風土がありました。久山町研究は,検診を「してあげる」のではなく「受けていただく」,データを「見てあげる」のではなく「提供していただく」ことで成り立っています。その姿勢は研究室にしっかりと根付いていますし,ここの出身者は皆,患者さんを大切にする医師に成長していきます。

町が共同研究者なんです

―ゲノム疫学研究では,研究に賛同されている住民の方はどれくらいですか。

清原: 40歳以上の全住民の約80%が検診を受け,その96%からゲノム研究の同意を得ています。

 ゲノム疫学研究を始めるにあたり,住民の方々と3つの約束をしました。1つは,住民のデータはあくまで住民のものであるということ。それを我々が使わせていただくという考え方ですね。それからもう1つは,住民の臨床データとともにゲノム情報は久山町から原則的に出さないということ。最後の1つが,研究の成果はすべて住民にお返しするということです。ゲノム情報の管理以外はいずれも以前から行っていたことですが,あらためて明文化しました。

久山町の風景
久山町の風景

 たとえばこれまでも,高血圧が危険因子だとわかれば血圧を下げるよう指導するなど,成果としての情報は逐次,検診の場で還元してきたわけです。しかしゲノム研究の場合,ゲノム創薬や特許などで利益が生まれる可能性がある。それも含めて住民の方々にお返しするという約束です。そのために2005年に有限責任中間法人久山生活習慣病研究所を設立し,特許などを町といっしょに管理するようにしました。利益を,久山町住民の方々の健康管理に活用するために還元できるシステムにしたのです。また,ゲノム情報を町から出さないために,研究室を大学から町内に移しました。

 久山町は長年にわたり,この研究を経済的にも支えてきてくれました。実は文部科学省のプロジェクトの申請書類では,共同研究者の欄に,他の先生方の名前と並んで「久山町」が載っているんです。書類を見た人の間では「これは一体?」と話題になったようですが,久山町研究の場合,本当に町が共同研究者なんです。




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