[久山町研究50周年記念講演会] 基調講演「変貌する生活習慣病の現状と課題:久山町研究」
conclusion2
久山町研究は1961年に開始され,2011年で50周年を迎えた。これを祝して,2011年10月29日(土),九州大学医学部百年講堂大ホールにて50周年記念講演会が開催された。
ここでは,主任研究者の清原裕氏(九州大学大学院医学研究院環境医学分野)による基調講演「変貌する生活習慣病の現状と課題:久山町研究」(座長: 滋賀医科大学生活習慣病予防センター・上島弘嗣氏)の内容を紹介する。
変貌する生活習慣病の現状と課題: 久山町研究
1. 久山町研究が始まったきっかけ
1960年のローマの世界神経学会でGoldbergとKurlandが報告したデータ(World Neurol. 1962; 3: 444-65. )によると,日本の脳血管疾患による年間死亡率は世界33か国のなかでもっとも高く,さらに病型別にみると,日本では脳出血の割合が突出して高かった。GoldbergとKurlandは,日本の医師の死亡診断書の記載に問題があるのではないかという疑問を呈したが,当時の日本にはそれに反論するエビデンスがなかった。そこで,地域における脳卒中の実態を調べることを目的として,久山町研究が開始された。
2. 久山町研究の概要
久山町とは
福岡市の東に隣接する糟屋郡久山町は,1960年当時の人口6500人,2010年の人口8400人の小さな町である。50年間で近隣の市町村の人口はいずれも倍以上に増加したが,久山町では町の大部分が市街化調整区域に指定されていたことから,この間も約1900人の増加にとどまった。このように人口が安定していることが,追跡調査を長年継続できた大きな理由であった。
久山町が選ばれた理由
研究を開始する際に久山町研究が選ばれた理由として,まず町が研究を受け入れてくれたことが挙げられる。また,研究開始当初の久山町の年齢構成は日本の平均とほぼ同じで,偏りのない集団と考えられることも大きな理由であった。これは現在も同様であり,高齢化も平均的なスピードで進んでいる。つまり,久山町で得られたデータは,ある程度日本人全体に一般化できるものと考えられる。
健診と研究が両輪をなす「ひさやま方式」
久山町研究は,大学側からみれば「研究」であるが,町の側からみれば「健診事業」でもある。われわれは健診から得られたデータを研究に使わせていただき,その成果は住民の方々の健康管理のために町に返される。このように,大学と町と地元の開業医が協力して,健診・医療相談・追跡調査・剖検を行い,住民の方の包括的な健康管理を行うという体制は「ひさやま方式」とよばれる。その両輪をなす,切っても切れない共同作業が「研究」と「健診事業」なのである。
久山町研究の集団
1961年に健診に参加した1618人を第1集団,1974年の2038人を第2集団,1988年の2637人を第3集団,2002年の3123人を第4集団とすることが多い。ただし久山町では数年ごと(最近は5年ごと)に一斉健診を実施しており,健診ごとに1つのコホートができると考えれば,これまでに計13のコホートが継続的に得られていることになる。たとえば1960,1970,1980,1990,2000年代の初頭のコホートのみを抽出し,50年間にわたる変遷を比較するという解析も可能である。
3. 久山町研究の特徴
久山町研究のおもな特徴として以下のようなものがある。
・ 悉皆性: 40歳以上の全住民を対象としている。
・ 研究デザイン: 前向きの追跡研究を行っている。
・ 研究者: 公衆衛生の専門家ではなく臨床医が行っている研究である。健診のみならず往診も行うため,発症者をより正確に把握することができる。
・ 受診率: 多くのコホートで80%以上を維持している。
・ 追跡率: 99%以上であり,これまでに追跡不可能となったのはわずか3名のみであった。
なかでも最大の特徴といえるのが,剖検を行い,正確な死因の究明を行っていることである。剖検率は80%以上を誇り,このように一つの町が剖検を50年間継続してきたという試みは世界にも類を見ない。住民の方が亡くなられた場合,研究スタッフが自宅を訪問し,直接,剖検への協力を願い出る。研究開始当初は「死因の究明のために」と説明してもなかなか理解が得られないこともあったが,長年にわたって築かれてきた信頼関係のもと,現在では住民の方のほうから「(剖検を)お願いします」と言われることもある。久山町研究は,こうして一人ひとりの剖検データが蓄積されることでできた研究なのである。
4. 心血管疾患とその危険因子の時代的変化
心血管疾患発症率の変化
1961,1974,1983,1993,2002年の集団をそれぞれ7年間追跡した成績をくらべると,脳卒中発症率は,男女とも顕著に低下したが,男性では最近,その低下のスピードが鈍化している。虚血性心疾患発症率は,男女とも50年間であまり変わっていない。すなわち,動脈硬化性疾患は最近あまり減っていないといえる。
また,慢性腎臓病(CKD)の有病率の推移を1974,1988,2002年の集団でみると,男女ともステージ3以上のCKDが急増していた(抄録を読む)。その背景として,経時的な危険因子の変化が影響している可能性がある。そこで,心血管疾患の種々の危険因子がどのように変化してきたかについても検討を行った。
危険因子の変化
・ 高血圧
高血圧の頻度は,1960〜2000年代にかけてあまり変化しなかった。一方,高血圧者における平均血圧値の変化をみると,収縮期血圧値,拡張期血圧値とも,性別をとわず,この50年のあいだに着実に低下した。このことが脳卒中発症率低下の大きな理由と考えられる。
・ 代謝系危険因子の台頭
その一方で,肥満,高コレステロール血症,糖代謝異常といった代謝系危険因子の割合は,性別をとわず,この50年間でいずれも顕著な増加を示している。高血圧治療状況の改善によって得られた予防効果がこうした代謝系危険因子の台頭によって相殺されたことにより,動脈硬化性疾患の頻度が下げ止まるとともにCKDが急増したのではないかと考えられる。
・ 糖代謝異常
なかでも糖代謝異常の増加が著しく,大きな課題となっている。久山町研究では1988年より対象者全員に75 g経口糖負荷試験を実施しており,糖尿病有病率は当時すでに男性15%,女性10%と予想より高率であったが,2002年時にはそれぞれ24%,13%とさらに増加。これが日本の実態であると考えられる。
1988年の集団で検討した結果,糖尿病は男女とも脳梗塞発症リスクと有意に関連していた。虚血性心疾患については,女性では糖尿病の人の発症リスクが正常の約4倍と顕著に増加することが示されたが,男性では有意差はなかった。われわれは,この結果は男性の高い喫煙率の影響だと考えているが,逆に女性の側からみれば,もともと喫煙率が低く虚血性心疾患になりにくいにもかかわらず,いったん糖尿病になると虚血性心疾患の発症率が男性と同等にまでなる。女性の糖尿病は,それだけ強力な危険因子といえるのではないだろうか。
・ BMI
1988年の集団において,BMIレベルの上昇は,多変量調整後も脳梗塞,および虚血性心疾患の発症リスクとそれぞれ有意に関連していた。
・ LDL-C
1983年(脂質低下薬治療がまだほとんど行われていなかった時期)の集団の追跡調査で,LDL-Cの上昇は,多変量調整後もアテローム血栓性脳梗塞,および虚血性心疾患の発症リスクとそれぞれ有意に関連していた(抄録を読む)。
・ メタボリックシンドローム
代謝系危険因子は,すなわちMetSの構成因子でもある。MetSの診断基準は複数提唱されているが,久山町研究における検討では,日本の基準のうち腹囲を男性90 cm以上,女性80 cm以上に置き換えた「修正日本基準」が動脈硬化性疾患を予測するうえでもっともよい指標であったため,われわれはこの基準を用いている。この基準を用いた検討では,MetSは男女とも脳梗塞,および虚血性心疾患の発症リスクのいずれとも有意に関連しており,危険因子の集積が動脈硬化性疾患のリスクを高めることは間違いないと考えられる(抄録を読む)。
また,MetSを有する人ではCKD発症リスクも有意に高かった(抄録を読む)。この結果からも,近年CKDの頻度が急激に増加している背景に,MetSをはじめとした代謝系危険因子の頻度の増加があると考えられる。
5. 糖尿病の新しい合併症
悪性腫瘍
1988年の集団において耐糖能カテゴリーと悪性腫瘍死亡リスクとの関連をみると,多変量調整後も,糖尿病のみならず空腹時高血糖(IFG)や耐糖能異常(IGT)のレベルから有意なリスク増加が認められた。この結果から,糖尿病は悪性腫瘍の危険因子でもある可能性がある。とくに胃癌について検討すると,HbA1c(JDS値)が6.0%以上のレベルから有意な発症リスク増加がみられ(Gastroenterology. 2009; 136: 1234-41. ),血糖高値がなんらかの形で発癌を促していることが示唆された。
認知症
久山町研究では1985年から認知症の調査を開始している。1985〜2002年の認知症の有病率の変化をみると,1985年から2002年にかけて6.7%→12.5%と急増しており,単なる高齢化の影響を超えて認知症を増加させる何らかの要因があると考えられる。その一つが糖代謝異常であり,1988年の集団における検討では,耐糖能レベルの悪化とともにアルツハイマー病,脳血管性認知症のいずれの発症率も有意に上昇した(抄録を読む)。糖尿病をはじめとした糖代謝異常の増加が,認知症増加の一因となっている可能性がある。
さらに血糖値と認知症各病型のリスクとの関連を検討した結果,空腹時血糖値とアルツハイマー病および脳血管性認知症発症とのあいだには有意な関連は認められなかった。一方,負荷後2時間血糖値が高くなるほど,アルツハイマー病および脳血管性認知症のリスクが有意に増加しており(抄録を読む),認知症のリスクに関連しているのは食後高血糖である可能性が高い。通常の健診で全員に経口糖負荷試験を行うのは難しいため,認知症高リスク者のスクリーニングのための新しいマーカーが必要である。
6. 生活習慣病のゲノム疫学
そこで久山町研究では,第4集団(2002年)をゲノム疫学の集団とし,対象者の96%から承諾を得てゲノム疫学研究を開始した。まず着手したのが脳梗塞関連遺伝子の研究で,他の研究施設との共同研究のもと,5万2000余りの一塩基多型(SNP)マーカーから12の候補遺伝子を絞り込み,これまでに3つの脳梗塞関連遺伝子(PRKCH遺伝子,AGTRL1遺伝子,ARHGEF10遺伝子)を明らかにした。候補遺伝子探索の段階では九州大学病院などの脳梗塞発症者群と久山町の非発症者を対象に行い,その後,前向き追跡研究により特定の遺伝子型と脳梗塞発症リスクとの関連を検討した(抄録を読む)。
現在,同様の手法を用いて潰瘍性大腸炎,加齢黄斑変性症の関連遺伝子を発見し,現在アルツハイマー病についても検討を進めている。
7. おわりに
久山町研究は脳卒中の疫学研究として始まったが,50年がたったいま,研究テーマは虚血性心疾患,糖尿病,脂質代謝異常,メタボリックシンドローム,動脈硬化の病理学的検討,認知症,CKD,肝疾患,眼科疾患など,生活習慣病全体に広がってきた。また,当初は九州大学医学部第二内科と第一病理学教室,第二病理学教室との共同研究であったが,現在はさらに眼科,精神科,予防歯科,呼吸器科,心療内科,脳神経病理学,脳機能制御学の教室などとの連携が広がり,多々の研究者が集う学際的な研究となっている。九州大学を代表する研究として,これからも努力していきたい。
当日は,基調講演に続いて3つの特別講演が行われた。
山口武典氏(国立循環器病センター名誉総長)による特別講演「わが国における脳卒中の過去・現在・未来—その特徴と今後の展望—」(座長: 国立循環器病センター名誉総長・尾前照雄氏)では,わが国における脳卒中研究の歴史を振り返りながら久山町研究の果たしてきた役割に焦点があてられ,生活習慣の変化や抗血栓療法といった今日の話題もふまえた今後の課題と展望が述べられた。
門脇孝氏(東京大学大学院医学系研究科糖尿病代謝内科)による特別講演「2型糖尿病の成因—遺伝素因・生活習慣相互作用—」(座長: 九州中央病院院長・飯田三雄氏)では,わが国における2型糖尿病のおもな成因として遺伝的素因や生活習慣がとりあげられ,久山町研究からも明らかにされたわが国の2型糖尿病の急増の背景が解説されるとともに,個別化医療・予防の実現のための大規模ゲノムコホート研究の意義もあらためて強調された。
中村祐輔氏(東京大学医科学研究所・ヒトゲノム解析センター ゲノムシークエンス解析分野)による特別講演「パーソナルゲノム医療に向けて」(座長: 九州大学大学院医学研究院病態機能内科学・北園孝成氏)では,バイオバンクジャパンをはじめとして多様な疾患を対象に進められている遺伝子多型データベース作成の試みや今日の技術革新が紹介され,ゲノム薬理学によるオーダーメイド医療実現の将来像も示された。
記念講演会の参加者には,50周年記念誌「久山町研究 50年のあゆみ」が配布された。